直江津港
直江津港の沿革
直江津港は日本海に面し、奈良時代から越後国府の要港として栄えてきました。ことに戦国時代の武将上杉謙信が春日城に居城していた頃には人口6万人を数え、京都に次ぐ大都市の港として厚い保護を受け、米、塩鮭、越後上布等を特産として京阪地方及び遠く九州、北海道の諸港と交易しました。
明治時代に入り、新潟、小木への定期航路や、神戸から小樽までの日本海定期航路の寄港地として賑わいました。また、直江津を起点とする信越線が長野方面へ開通したことから、中部日本に達する唯一のルートになりました。そのため、大正時代にかけて長野方面への物資の流通が盛んとなり、直江津港の背後地には工場の進出が進みました。
昭和26年に港湾法に基づく重要港湾に指定され、昭和35年の河口分離により港勢は著しく活発になりました。その後も日本海側で2番目に5万トン級岸壁が作られるなど、港湾施設の整備に努めてきました。
平成7年より開始されたコンテナの取扱は、平成11年のガントリークレーン供用開始に伴い韓国や中国との定期航路によるコンテナ取扱量が大幅に伸び、平成26年には取扱個数が過去最高の31,000TEUを突破しました。
さらに、大型公共ふ頭の整備やLNG火力発電所の立地を中心に「直江津港港湾計画」が改訂され、平成16年には火力発電所用地埋立工事が竣工し、国内最大級のLNG火力発電所の建設が進められました。平成24年7月に1-1号機、平成26年5月には最終号機である2-2号機で営業運転を開始しました。
また、平成21年には火力発電所の隣接地にLNG基地の建設が開始され、平成25年12月に操業を開始しました。
平成23年11月には新潟港と共に日本海側拠点港が選定され、今後、国内はもとより国際物流を担う国際貿易港湾として、ますます大きな発展が期待されています。
直江津港の概要と状況
直江津港の位置は日本海沿岸の中央部、北緯37度10分46秒、東経138度15分12秒にあり、新潟港と伏木富山港のほぼ中間に位置している。長野県堺を水源とする1級河川、関川の河口に隣接しており、観光地佐渡ヶ島を日本海北上に望み、背後は上信越高原国立公園である妙高高原地帯に続き長野県へと通じている。
地勢上は上越市にあり、関川・保倉川などが運ぶ土砂が堆積してできた沖積平野が背後に広がっている。海岸線は、冬の季節風によって吹き飛ばされた砂が厚く堆積して固まった海岸砂丘と呼ばれる丘が東西に延びている。
地質は港湾区域一帯は泥砂にまじり、港内は砂、泥砂、もしくは礫である。
気象は春から秋にかけて一般に風力は弱いが、晩秋から冬期にかけて西高東低の気圧配置が続くため、西から北の季節風が吹き荒れ、風波が高い。
姫川港について
第2の拠点となる小回りの利く姫川港
~日本海側唯一のセメント供給拠点港として~
~総合静脈物流拠点港(リサイクルポート)として~
新潟県の最西端、富山・長野両県境近くに位置する「姫川港」(糸魚川市)があります。
昭和48年位級河川姫川の右岸に掘り込み港湾として昭和48年9月開港以来、セメントの出貨並びにセメントの原燃料の入貨を中心として目覚しい発展を遂げ、全国で唯一重点流通港湾の指定を受けた国内屈指のローカル港湾として、重要港湾に匹敵する機能を発揮しています。
姫川港は直江津海陸運送株式会社の第2の拠点として、セメント2社に加え背後に長野中信地域を控え、国内貨物はもとよりロシア(対岸)中国・韓国等、アジアの外貨貨物船が頻繁に往来する「小回りの利く港湾」として、お客様のニーズに応えています。